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2009.11.14

小さな発見…?!

花もてる夏樹の上をああ「時」がじいんじいんと過ぎてゆくなり    香川 進
今週、三年生の国語の授業で短歌を読みました。上の歌はそのなかの一首です。
花をつけた夏の樹木の上を、ああ、「時間」というものが、じいんじいんと響くように過ぎてゆくことだ。
“じいんじいんと”というのは、擬声語(擬音語)でしょうか、擬態語でしょうか。
擬声語(擬音語)というのは、 雨がザアザア降る の“ザアザア”のように、音をまねして言った言葉です。ワンワン、ニャアニャア、とか。
擬態語というのは、 雨がしとしと降る の“しとしと”のように、様態(そのものの様子)をまねして、言った言葉です。ひらひら、ふわふわ、とか。
「時間」が流れる音は、聞こえるでしょうか?何も動くものがなくても、時間だけは常に流れていきます。
夜、音の出そうなものを全て止めて、それでも聞こえてくるもの。蛍光灯の豆球のフィラメントの音。
自分の呼吸の音。うつぶせになると聞こえてくる心臓の音。それらの止めることのできないものをこころの中で排除しながら、耳を澄ませてみると、“何か”が聞こえてくるような。
“じいんじいいん”とか“じーじー”とか。そんな音が聞こえてくるような気がしませんか?
三年の生徒に聞いてみると、「そうかなぁ、」「今日、晩、“時間”の流れる音聞いてみるわ」という反応の中で、一人の生徒が言いました。「それは、ダンス細胞やで」
[ダンス細胞]なるものの存在を知らなかった私は、「何、それ?」と聞いて、[ダンス細胞]なるものが何か生徒に教えてもらいました。
周りが静かになると、耳の奥でダンス細胞が動き出す。何か音がしていなくても、耳は高感度に反応しだす。だから、なっていない“音”でも聞こえる。
全然、文学的でも情緒的でもないですが、それはそれで、感心しました。この作者も[ダンス細胞]の反応を「時間」の流れる音として聞いたのでしょうか。
人間の耳の中の細胞の反応が「時間」の流れる音を作っていると考えるとそれはそれで逆に“詩的”なことのような気がします。
日々、自由に発言してくれる生徒達の中で生徒も私自身もいろいろな発見があります。
また、あしたは、何かみつけられそうな、。。。
国語科教諭  東出 祐紀子

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